先日、遠藤(兄)が来訪。福島には3Cの撞ける球屋が無いので、だいぶストレスがたまってる模様。帰宅と同時にランドセルを玄関に放り投げて外へ遊びに行く昭和の小学生のように、本厚木に到着するやいなや早速2人でアミーゴへ。国道129号線をひたすら南下。道路事情にもよるが、片道およそ35分。もうちょっと近いとありがたいのだが、まあ贅沢は言うまい。
アミーゴの3Cはシェビロットが2台。深夜ともなると、2人してずーっと3Cを撞いてたりする。某テレビ番組を真似て「延長するまで帰れまテン」だの何だのと、大抵は明け方の4時5時くらいまで、へとへとになってもまだ撞いている有様である。
この日は、東京オープンの観戦効果とでも言うか、妙に僕のイメージがよくて、2度もアガりを達成。その一方で、初キューから15連続無得点と、あやうくスコンクをマークしかねないゲームもあり、相変わらず安定感の無さは抜群である。
トップクラスの球撞きを始終観ていると、良いイメージが身に備わるというのは周知の事実であろう。実際僕などは、普段ろくに練習もせず、ビールを片手に年下の常連のプレーを見ては、やれお前の球撞きは貧しいだの、お前のショットにはエレガントさが欠けているだのと、好きな勝手なことをほざいているかなり悪質なおやじである。にもかかわらず、ごくまれに周囲をうならせるショットを披露できるのは、やはり数年に渡る観戦の結果と言えよう。良いプレイヤーのファインショットを数限りなく観ていれば、そりゃ脳内で理想とするショットも良いものになる道理である。
しかしだ。最近になって気付いたのだが、観戦によって僕が得たものは、「良いイメージ」だけではない。では何か。それは「厳しい現実」である。どんなトッププレイヤーも、全ての球を当てるわけではない。必ず外すのである。それも、時として信じられないような外し方をしたりするのだ。これまで幾多のファインショットを観てきたが、それに倍する程の無数の外れをも目の当たりにしてきた。クッションから球1個しか空いてないようなところを、手球が見事に抜けて行くのを何度も何度も観たものである。
結果、僕が学んだことは「3Cでは全てのショットがファインプレーである」という、島田暁夫プロの言葉にこめられた重みである。トッププロが必死の努力を尽くしながら、それでも無情に的球の脇を通過してゆく手球を幾度となく見ていると、アマチュアの最底辺に棲息する自分の球が当たらないのは当然と、心底思う。だからこそ、1点当たった時の嬉しさは格別なのである。一緒に撞いている兄もおそらく気付いてはいないだろうが、1点当てた時の僕が内心どれだけ欣喜雀躍しているか、まあこればかりは周囲の人間にわかるものでもないか。
もっとも、おかげで外れてもくやしがることが減ってしまい、そのぶん上達に更なる歯止めがかかっているわけだが、まあよい。他の人が半年で出来ることを、僕は2年くらいかけてやる。それだけのことだ。
さて、勤務のシフトだが、3月7日(日)の休みは確定した(これ以後は未定)。とりあえず2段戦の1次予選なので、出場してみようかと思う。「何点当てたかではなく、何を当てたか」が僕のモットーだが、たまには「何点当てたか」にこだわるゲームをやって、自分の下手さ加減を思い知らされないと、なかなか向上しないからね。つらいけどね(笑)。