2007年 5月31日(木) 遠藤(弟)の部屋

 夕方になって雨もこやみになるかと思いきや、激しい雷雨。フラッシュのような稲光りに雷鳴。大粒の雨。土砂降りである。秦野駅に出てみると、秦野〜東海大学前で何かあったらしく、小田急線のダイヤはずたぼろ。まいったまいった。

 明日は人間ドック。東名厚木病院は、歩いて行ける距離なので助かる。今年はまるで走り込みをしていないので、きっとまたぼろくそに言われるだろうな。先日Macintoshを修復してくれた川野さんは、例のビリーズ・ブートキャンプに「入隊」したそうだが、僕などはさしずめ不名誉除隊(つまりクビ)であろう。CMでさんざんやってたけど、あの動きはきついよ。笑顔で出来ないよ。勘弁してよ。
 病院といえば、幸いにして思春期からこっち、入院したことは無い。最後に病院で治療を受けたのは、中学生の時の捻挫か、20歳の時に、指の爪の中に刺さったシャーペンの芯を取り出してもらった位か。あとは、ささやかな風邪を引いたり、ラーメン屋で貧血起こしてぶっ倒れたりしたが、病院送りになったことは無い。

 小学生の時は、2回ほど病院送りになった記憶がある。1度は確か小3の時。学校の屋上でおしくらまんじゅうをしていたのだから、冬だったのだろう。おしくらまんじゅうをしていた数人(僕含む)が、どどっと倒れたその瞬間、足がからみ合ったのだろうな、僕の足首がちょうど関節技をきめられた状態になってしまい、そのまま、ぽきん!である。痛かったねえ。本当痛かった。今にして思うと、たしかに骨の折れるぼきっという音が、文字どおり骨伝導で聞こえたものである、怖いくらいにはっきりとね。

 しかしながら、そこは子供のあさはかさ。骨が折れたとは全く気付かず、ただただ痛みに泣くばかり。すぐさま保健室に運ばれた。で、今考えても信じられないが、当時の保健の先生は「捻挫」と診断。救急車を呼ぶでもなく、僕は担任の先生におんぶされて、都営住宅の1階にあった我が家へ帰宅したのである。先生とは玄関で別れたが、大人の足で2歩の廊下が進めなかった。当たり前だよ。骨折してるのに歩こうとしたわけで、あれはもう本当に痛かった。畳の上に横になり、うんうん唸っていると、兄(当時小5)が帰宅。大丈夫かと僕に声をかけ、ついでに布団もかけて遊びに行ってしまった(笑)。

 夕方になって母が帰宅。「大丈夫?」と僕の足に触れた途端、ぎゃーんと僕が痛さに泣き叫ぶ。事の重大さに気付いた母が、近所の外科医に僕をかつぎ込み、ここでようやく骨折と判明。その場でギプスと相成った。その後、全治するまで約2ヶ月。途中、水疱瘡を発症し、ギプスの内側にもあの痒いぶつぶつが大量発生。あまりのかゆさに涙を流す僕を見て、外科医の先生も同情したか、ギプスに切れ込みを入れてくれた。そこから割り箸を差し込んで、ごしごし掻いたのは今も忘れられない。

 それにしても、ぽっきり折れた足首を捻挫と断定した保健の先生といい、それを信じて担任に僕をおぶって自宅に放り出すよう指示した校長先生といい、まことにのんきな時代だったとしか言いようが無い。あの後、父や母が文句を言いに行った事も無いし、僕も恨みに思ったことはなかった。今だったら、校長の記者会見くらいにはなってしまうのだろうか。カラスヤサトシの言葉を借りれば「問題視しなければ大抵のことは問題ではない」のである。小学生の骨折で、大騒ぎしなかった両親に、今はとても感謝している。

 自宅から歩いて10分位の外科医に通院したのだが、小3の僕をおんぶした母は、途中何度も一息入れていた。とりわけ、病院の直前が神社の坂道で、この下でひと休みする母の姿に、子供心に大変申し訳ないと思ったものである。ちなみに、折れたのは左足首の骨。診断は「らせん骨折」だった。松葉杖が最初はうまく使えなくて泣いたものである。